
でこぼこ三人衆 Presents
- 第10話 実盛坂-
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ども!葱太郎です!
さて、今回は湯島からお届けします!

さて、湯島と言えば、誰しもがご存知の事と思いますが、
ここ「湯島天満宮」にやって参りました!

年末や春先は合格祈願に勤しむ学生たちで賑わっているのですが、
昨今は季節を関係なく多くの参拝者で賑わってますね
やはり、これもインバウンド効果なのでしょうか?
それはそうと勢いで参列してしまいましたが、今回のお話は「湯島天満宮」ではなく、
こちらなんです!

こちらの結構急な38段程の階段なんですが、「男坂」と言います。
ちなみに別ルートに「女坂」もあり、こちらは33段で若干緩やかではありますが、
やはり湯島天満宮に来たらこちらの階段を使う人が多いかと思います。

ここが今回の目的地で湯島神社から男坂を降ると、すぐ下にある『心城院』です。
通称「湯島聖天」で、江戸時代から「湯島の聖天さま」として親しまれ、
特に縁結びや商売繁盛のご利益があるとされています。
元々は湯島天神の別当寺であり、1694年に開山されました。
主祭神は大聖歓喜天となります。

天満宮の賑わいと比べると静かではありますが、以前から気になってまして、
参拝の後に境内を見て回ろうかと思います。

先ずは放生池。本堂前にある小さな池ですが、鯉と亀が放し飼いとなってます。
なんと!
これには理由があって、元禄の昔から病気平癒などの祈願で縁起の良い亀を放し、
「亀の小寺」として親しまれていたのだとか。
また、作家の久保田万太郎は、この池の亀を眺めて一句、
「きさらぎや 亀の小寺の 畳替」と呼んだといいます。
境内の注意書きにもありましたが、ここの亀を持ち去る輩がいるそうで、
いくら縁起の良い亀とはいえ、持ち帰りは絶対にやめましょう!

『新編江戸志』によると、「長井実盛の庭先で、昔よほどの池があったが、
近来その形のみ少しばかりあり」とあります。
昔はもっと大きな池だったのかな?
今は時代と共に縮小されてしまったのかも知れませんね

続いて、こちらの「柳の井戸」は、江戸時代から名水として知られ、
美髪や厄除けのご利益があるとされています。
この井戸の水は、髪を洗うと垢が落ちるという伝説があり、
江戸時代には美髪・厄除けの名水として多くの参拝者が訪れたのだとか。
また、先ほどの亀がいた放生池の水源もこちらなんだそうです。

また、「湯島より池の端のあたりをすべて長井庄といえり、
むかし斎藤別当実盛の居住の地なり」とある。
そう言えば、先ほどから名前の出る「長井実盛」という方と、
今出た「斎藤別当実盛」は「長井斎藤別当実盛」というお方でになります。
※「長井」は武蔵国長井庄(埼玉県熊谷市北部)に由来するのかと

そして、坂下南側にはかつて「実盛塚」、「首洗いの井戸」があったという話でして、
それもあってのこの坂の名前が「実盛坂」なんだとか
という事で、今回はこちらの「実盛坂」についてのお話をして行きたいと思いますので、
実際に先ずは「実盛坂」へ行ってみましょう!

説明を読むと、実盛塚、首洗いの井戸、産湯の井戸がこの坂下にあったのが坂の名の由来らしい

となると、この坂を下れば、その先に実盛塚、首洗いの井戸、産湯の井戸があるのだろうか?
試しに下へ降りてみたものの、特に何も無さそうな感じ
こうも何も無いのは想定外なだけに、これは流石に困ったかも!

一応、今度は坂(階段)を登って途中に何か無いかも確認したけども
やはり何もありませんでした
さてさて、どうしたものか…

とは言え、これ以上の手掛かりの無い状況ではありながら、
ここまで来ると今度は「斎藤別当実盛」という人物に興味が出て来るのだけど、
果たしてどんな人物なんだろうか?

山さん:どうやら出番のようだね
葱太郎:あれ?山さん、いつの間に!?
山さん:最近はめっきり出番が減ったんで、何処かで登場出来る隙を伺ってたのさ
葱太郎:マジっすか!でも、良いタイミングですよ
もし、ご存知ならば、「斎藤別当実盛」という人物について、ご教授頂けませんか?
山さん:それならばお安い御用だな
ワシが変わって「斎藤別当実盛」という人物について説明しよう
さて、斎藤別当実盛とはどんな人物なのだろうか?
斎藤別当実盛は、平安時代末期の武士なんだけど、この時代は有名な源氏と平氏が
それは熱い戦いを繰り広げている最中に活躍した武士の一人なんだわ

この斎藤別当実盛、初めは源義朝らに仕えて源氏側の人間として活躍しましたが、
のちに平家(平宗盛)に仕えるようになったんだ
まあ、先ほども言ったように源平合戦なんて言われる戦いの中、仕える先を変えるのは
なかなかに難しいものなんですわ

実盛が、源氏から平氏へ仕える先を変えた理由とは?って話だけど、
それは元々仕えていた源義朝が平治の乱で敗れてしまい、
実盛は本拠地の武蔵国長井庄へ戻らざるを得なくなったことがあり、
さらには、実盛の優れた武士としての腕前や剛勇さを認めた平宗盛から、
家人になるよう強く求められたことがあるんですわ
それらを理由に、悩みに悩んだ末、実盛は宗盛の誘いを受け入れ、
その後は平家一門としての恩義に報いる道を選んだんだという話なんだ。
次に実盛と言えば、木曽義仲とのエピソードが有名なんですわ

昔、源氏の争いで命を落とした源義賢の子(駒王丸、のちの木曽義仲)が2歳のとき、
その命をこっそり助けて木曽へ逃がしたのが実盛その人なんだ。

1155年、義仲の父・源義賢が源義平との戦いで命を落としてしまったのが、
義仲が当時2歳の時の話で、実盛は義平から幼い義仲の処刑を命じられた際に、
義仲を哀れに思い、ひそかに乳母子らとともに信州へ送り届けて救い出したんだ。
まあ、後で出て来る話に直結するので、一旦は義仲とのエピソードは
ここまでとするけど、その後日談もあるってことは覚えておいて欲しい

そして、実盛は武蔵国長井庄(現在の埼玉県熊谷市)の庄官を務め、
のちに寺院(妻沼聖天山)を開いたと伝わってるんだ。
これらのエピソードで何となく実盛の人物像が見えてきたと思うんだけど、
次のエピソードこそが、「斎藤別当実盛」という人物を語る上で、
避けては通れない話なんじゃないかと思うぞ

それが、再び木曽義仲と関わる「篠原の戦い」でのエピソードなんだ

- 篠原の戦い -

伊豆で兵を挙げた源頼朝は、石橋山合戦で負けて上総の千葉氏の援助で鎌倉入りとした

江戸氏や、豊島氏は頼朝方についたが、実盛は平氏方について頼朝方にに抵抗をした

壽永二年、加賀国篠原で、実盛は源氏の木曽義仲軍と戦った。
平家の運命を予感し、敗れて生きるより死に花を咲かせたいと決意した実盛。

ここは生国越前に程近く最後の地としても相応しい。
味方が雪崩をうって退いたが一人残ったのだった。

名乗りを拒否して手塚太郎光盛と勝負、疲労と七十三歳の老齢、遂に討たれた。
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木曽義仲は首実検で実盛に違いないと思ったが、
髪の黒いのを不審に思い、洗ってみると白髪であった
六十歳のころから老人が若い者と先陣争いをしたと笑われるのは大人気ないと
実盛は髪を染めたのだった。
義仲はじめ一同は実盛の「武士の意気地」に涙を惜しまなかったという。

篠原の古戦場には首洗塚がある。
湯島の井戸や首塚は意気に感じた土地の人が、実盛をしのび作ったものであろう。


また、「実盛の首洗い井戸(首洗池)」に関する伝承の主な場所として、石川県加賀市と伝わってるんだ
そして、銅像もあるので興味があれば足を運んでみて欲しい

葱太郎:大変勉強になりました。ありがとうございました。
山さん:うむ、これしきの事であれば微力ではあるが助力いたすのでいつでも呼んでくれ
葱太郎:いえいえ、滅相も無い話です!
でも、まだまだ自分も知らない事ばかりなので、もっと勉強をしなくてはと思いました
山さん:では、後の締めを任せたぞ、ではさらばだ

後半は殆どを山さんに解説して貰ってしまいましたが、
いつも気軽に足を運んでいた湯島という土地にこんな話の伝承があったのは
実に意外であり、自分の知見の狭さを改めて痛感しました
でも、こういった新たな発見がとても面白く、学びとなるのは良き事なので、
これからも色々なものにアンテナを張って行きたいと思います!
以上、湯島に伝わる「実盛坂」のお話でした!
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民話伝承999🄫