でこぼこ三人衆 Presents





👻👻👻👻👻👻👻👻👻👻👻👻👻👻👻👻👻👻👻👻👻👻👻👻👻👻👻

寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。
夏の夜というのは、不思議とあちら側の世界との境界線が、
どうやら薄くなるようでございます。

ふとした瞬間に感じる、生ぬるい風。
誰もいない筈の背後に漂う、気配。

それは気のせいか、それとも…

今宵お届けするのは、その昔より代々伝承されてきた、
少しばかり、怖い物語。

せっかくなので雰囲気も大切と思いますので、
部屋の明かりを少し落とし、耳を澄ませてお聞きください。

さあ、恐怖の時間の始まりです…



- 第8話 縁切榎と身禄さん -

これは昔々、東京都は板橋区に伝わるお話です。




中山道が作られたのは、今から三百七十年ほど前のことです。
そのとき、板橋にたくさんの馬をおいて、今のハイヤーのように、旅の客を乗せたり、
荷物を運ばせたり、客が泊まる旅館の立ち並ぶ宿場といった、
今の本町に、道を覆い被さるような榎の大木が生い茂っておりました




いつ、誰が言うとなく「縁切榎」といい、
この木の下を、お嫁さんの行列が通ると、必ず不幸になると恐れられ、
板橋宿の名所と那っておりました。




「えんきりえのき」、おかしい名前ですね
それには、こんなお話があるのです。

元禄時代の終わり頃、伊勢国に生まれた伊藤身禄という人がおりました。
十三才ぐらいの時、志をたてて江戸へ出て参りました。




あれこれ仕事を変え、精いっぱい働きまして、
本郷で油屋さんのお店をひらくことが出来ました。
このお店が大当たりして、たちまちのうちに大金持ちになりました。




奥さんのおきんさんとの間に、うめ、まん、はたと言う三人の娘さんまで産まれ、
幸せな平和な日々を送る身分となりました。




ところが、身禄さん、子供の頃から、富士の浅間様を深く信仰しておりまして、
自分は大きくなったら、富士山に北側からの登山口を切り拓いて、
富士山の上で死のうという願をたてておりました。




それから何年か過ぎたある日の事、
身禄さんは、今の恵まれた境遇に甘んじていたら、
心に誓った願を果たす事が出来ません。
そこで、心を鬼にして、家を捨てようと決心しました




享保十八年六月十日、奥さんと娘さんを集めまして、
「わたしの、この願いは、きのう今日のものじゃなく、
子どもの頃から、固く誓ったものじゃ、
そりゃ、今の恵まれた暮らしが惜しくないとは言い切れない。
しかし、このまま、だらりんと生きていたら、神様に嘘をつくことになる、
どうか諦めて、夫婦、親子の縁を切らしてくれ」と、
手をつくようにして頼みました




「お父さん、嫌だ、嫌だ、縁を切るなんて、とんでもない。
二人して、苦労に、苦労して築いた家じゃないか、
娘もこんなに大きかなったのに、
それをなんだって捨てなきゃならないの、
もう一度よーく考えて、思い直してくだされ」
おきんさんは、必死になって思い止まるよう努めました




「いやいや、私の心は変わらぬ、変えられない、
むごい父親と思うだろうが、許しておくれ」
身禄さんは、そのまま家を飛び出し、
足早に森川宿(東京大学赤門附近)に向かいました

おきんさんは三人の娘の手を引き「おとうさーん、おとうさーん」と、
呼びながら、後を追いましたが、なかなか追いつけません。




とうとう板橋宿まで来てしまい、
上宿の大木戸を出たところで、お父さんに追いつきました




母と娘は、見録さんの袂を掴んで、わっと泣き出してしまいました。
困った身禄さんは、道端におい繁った大木の木陰の、
橋の欄干に奥さんと娘を腰掛けさせ、
「あんたたちの引き留めたい気持ちもよく分かり、
夫婦、親子の別れの辛さは身を切られるより悲しい。
だけど、私の心願はそれ以上、どうにもならない。
どうか、これまでの縁と諦めて出発させておくれ、
おきんや、本当にすまないが、娘たちのことをよろしく頼みますぞ。
さ、もう一度よく顔を見せておくれ」




奥さんと娘さんは、父の決意がとてもかたく、
到底中止させる事が出来ない事を悟り、
泣く泣く、掴まえた袖を離し、この世での最後の別れを惜しみ、
ひとり、振り返り振り返り富士へ向かって、
岩の坂をのぼってゆく父の後ろ姿を見送りました




この大木のえの木を、
「縁切榎」というようになり、下を流れる中用水を「おんだし川」、
また妻子を腰掛けさせた、
欄干のある橋を「なみだ橋」というようになったと言います




ここで別れた身禄さんは、決心したとおり、
富士の北口(吉田口)からの登山道を切り開いて、
富士山上で死んでしまいました




これ以後、縁切えの木の下を、お嫁入りの行列が通ると、必ず不幸を招き、
大木の根もとには、樹のヌシの白蛇が棲むと恐れられてきました




ということで、「縁切榎と身禄さん」というお話でした。

オマケと言う訳ではありませんが、この「縁切榎」自身の歴史的なものを
お話したいと思いますので、もう少しばかりお付き合い下さい

では、どうぞ!



明治十七年十二月四日の夜、板橋宿が丸焼けになる大火がありました。
この時、縁切榎も焼かれて枯れてしまいました




火事の後、焼けた縁切榎の二代目の若木が植えられました。
二代目もよく伸びてきました時、ある事情で半分くらいのところから切り落とされることになり、
二人の植木屋さんが頼まれてすっぱり切り払いました。




ところが、それから間もなく、一人の植木屋さんは手入れ中の樹上から、
また一人の方は屋根から転落して、思わぬ災難にあいました。
縁切榎の祟りだろうと、人びとは語り伝えたとさせ




※現在の縁切榎は、三代目になります。
初代の縁切榎は、明治時代に火災で焼失しました。
いたばし観光センターの施設内では、
初代とされる榎の枯木が展示されております。
また、二代目は、昭和期の周辺再開発に伴って伐採されましたが、
現在はその一部がモルタルで固められて現地にご神体として、
保存・安置されています。

板橋区の縁切榎を知り、最初は「縁切り」という名前に少し怖い印象を持ちました。
しかし調べてみると、ただ人との縁を切る場所ではなく、
悪い人間関係や悪い習慣などの「悪縁」を断ち切り、
新しい「良縁」を結ぶことを願う場所だと知り、印象が大きく変わりました。
江戸時代から多くの人々に信仰され、今もなお全国から参拝者が訪れることに、
この場所の歴史の深さと人々の願いの強さを感じます。

縁切榎は「別れ」のためだけではなく、
新しい一歩を踏み出す勇気を与えてくれる場所だと思います。
私も嫌なことや悪い習慣があれば、
それを断ち切って前向きな気持ちで生活していきたいと感じました。

最後まで、お付き合い頂き、ありがとうございました!





民話伝承999🄫