
でこぼこ三人衆 Presents
- 第6話 波除神社-
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さて、今週は「災難を除き、厄を払い、道を切り開く」ご利益があることで知られ、
現在では、厄除け・災難除け・商売繁盛・交通安全・海上安全などを願う多くの参拝者が訪れることで知られる
市場の場外市場に隣接している神社、『波除神社』についてをお話したいと思います

という事で、今回はここ都営地下鉄大江戸線の築地市場駅からスタートします!

駅から地上に出たら右折し、そのまま道路に沿って進みます
が、ここでちょっと気になるものを発見!

ほほ~、これはあれですね
「咳の婆様」では!
と言っても、そもそもご存知無いかともいると思うので、
折角ですし、簡単なご紹介のお話を一つ

有名な咳の婆さんがあって、百日咳などで難儀をする児童の親は、そっと門番に頼んで、
この御屋敷の内へその石を拝みにはいりました。

もとは老女の形によく似た二尺余りの天然の石だったともいいますが、いつの頃よりか、
ちゃんと彫刻した石の像になって、しかも爺さんの像と二つ揃そろっていました。

婆さんの方は幾分か柔和で小さく、爺さんは大きくて恐ろしい顔をしていたそうですが、
おかしいことには、両人は甚だ仲が悪く、一つ所に置くと、きっと爺さんの方が倒されていたといって、
少し引き離して別々にしてありました。

咳の願掛けに行く人は、必ず豆や霰餅あられもちの炒いり物を持参して、
煎せんじ茶と共にこれを両方の石の像に供えました。

そうして最もよくきく頼み方は、始めに婆様に咳を治して下さいと一通り頼んでおいて、
次ぎに爺様のところへ行ってこういうのだそうです。
おじいさん、今あちらで咳の病気のことを頼んで来ましたが、
どうも婆どのの手際では覚束おぼつかない。何分御前様にもよろしく願いますといって帰る。
そうすると殊に早く全快するという評判でありました。

この仲のよくない爺婆の石像は、明治時代になって、暫しばらくどこへ行ったか行く方不明になっていましたが、
後に隅田すみだ川東の牛島うしじまの弘福寺こうふくじへ引っ越していることが分りました。
この寺は稲葉家の菩提所ぼだいしょで、築地の屋敷がなくなったから、ここへ持って行ったのでしたが、
もうその時には喧嘩けんかなどはしないようになって二人仲よく並んでいました。
そればかりでなく咳の婆様という名前も人が忘れてしまって、誰がいい出したものか、
腰から下しもの病気を治してくれるといって、頼みに来る者が多くなっていました。
そうしてお礼には履き物を持って来て上げるとよいということで、
像の前にはいろいろの草履などが納めてあったそうです。

こちらは今回の目的では無いので、この辺で話は終わりにして目的地へ向かいましょう
築地市場に到着しました
まあ、築地市場に折角来たんだし、少しは見て回るとしますかね!

そう言えば、豊洲への引っ越しもあって店舗もどうなるのか何てりましたが、
それでもコロナ禍の前後でも活気があるのがここでした
自分も良く玉子焼きやちょっとした食べ歩きをしに来たものですが…
え?今ってこんなんなんですか?
何か揚げ物と言うか何と言うか、ジャンクな感じの食べ物が多いな~

え?えぇ~!!
焼タラバガニが一本、6800円??
他にも、大トロ、ウニ、イクラが各2巻セットで6000円、
大トロとサーモンの刺身が各3切れセットで3500円…
もはや、食べ歩きとかのレベルじゃない!
けど、何これ!このカニの殻の山は…
インバウンド怖ッ!

こんなんじゃ、何も買えない時代になっていてカルチャーショックなんてもんじゃない
1000円あれば、色々と食べて楽しめたあの頃が懐かしい…


では、ここ「波除神社」の出来るまでのお話しを簡単に、
お話させて頂きます
波除神社の由来


今から370年程前、この築地一帯は一面の海でした。
江戸時代初期に埋め立てが進められ、ここから「波除神社」の歴史が始まります!

江戸開府時の慶長江戸絵図には、今の日比谷のお堀の辺りまで汐入を描き、
八重洲の海岸に船の役所が見えます。

開府前より始まった江戸城西丸の増築に掘られた、お堀の揚げ土を以って日比谷入江から埋め始められた、
江戸東南海面埋立は、その後全国の諸侯七十家に千石に一人の人夫を出させ、
後にはその埋立の役員の名をとり、尾張町、加賀町等と名附けられました。

そして70年の後、明暦の大火の後に4代将軍家綱公が手がけた最後の埋立の工事困難を極めたのが、
この築地海面でした。堤防を築いても築いても激波にさらわれてしまうのです。

或夜の事、海面を光りを放って漂うものがあり、人々は不思議に思って船を出してみると、
それは立派な稲荷大神の御神体でした。

皆は畏れて、早速現在の地に社殿を作りお祀りして、皆で盛大なお祭をしました。

ところがそれからというものは、波風がピタリとおさまり、工事はやすやすと進み埋立も終了致しました。
萬治2年(1659)の事です。


そしたら、最後に境内を見て歩いてみましょうか

御本社です
「倉稲魂命」をお祀りし 波除様と尊称されております
現在の社殿は昭和十二年に出来たもので、
御祭神の繋がりが有る伊勢の神宮(外宮)と同じ神明造で造られており、
国産の檜が使用され、戦前では東日本で最後に御造営された神社の御社殿です。
古来より、波が立つのは「雲を従える龍」と「風を従える虎」の仕業で
それを一声でひれ伏す事ができるのが獅子であり、
獅子が見下ろす事で龍虎は鎮まり波がたたなくなる
転じて人生の荒波も鎮まるとされ、
厄除・災難除のご信仰が続いています
※ちなみに画像の右下に見えるのが「雲を従える青龍」になります

学芸の才能と豊かな財をなす福徳の神「市杵島姫命」をお祀り
この御祭神を俗に弁財天と称することから弁財天社と呼ばれます。
江戸時代の御本殿の御創建に時を同じくお祀りされた
縁の有る事から摂社として大切にお祀りされています。
※こちらは「弁財天お歯黒獅子(雌)」

中に収められております「お歯黒獅子」は江戸時代に東都名物で在りました
雌の大獅子を祭礼で担ぐ様に高さ一尺の台座を含め
高さ2.2m 両耳幅2.5m 総重量700kg 総漆塗り一木造で、
木彫・加賀獅子頭の名工の流れをくむ現代屈指の彫刻師・知田清雲氏とそれを支えた
熟達の加賀の職人達の技により、紅色の肌地にお歯黒を施し
金箔押しの巻き毛で腰高の姿に平成十四年再興され、こ
の雌を表す頭の宝珠の中に弁財天・市杵島姫命の御神像が収められております。

江戸時代、厄除・災難除の象徴として多くの参詣者を集め
又当神社祭礼「つきじ獅子祭」の名称の元をもなした
「厄除天井大獅子」は江戸末期に焼失以来その復興を待たれておりましたが、
平成二年に神社の御鎮座330年を記念し、樹齢約三千年の黒檜(ねず)の原木を用いて
高さ2.4m 幅3.3m 重さ1t 往時に勝るとも劣らぬ
名実共に日本一の厄除天井大獅子として、
加賀鶴来の現代の名工・知田清雲氏とその工房の手により再興され、
神楽殿を基礎より全面改築された獅子殿に納められました。
※こちらは「厄除天井大獅子(雄)」

故実の通り、おまいりの方が願いを託された「願い串」をこの天井大獅子の舌の上の収め
籠に納め念じると、願い事を大獅子様におのみ頂きかなえて頂けると、
今も多くの方々のお参りがございます。
この「願い串」は専用の箱に収められ一年分を十二月第三土曜日に
執り行われるお火焚祭でお焚き上げを致します。

ちなみにこちらの「厄除天井大獅子(雄)」は裏側から覗き見ることができます

また、築地市場ゆかりの塚場外市場のすぐそばにあることから、
魚市場の発展に寄与した魚たちに感謝し供養するための「すし塚」や
すし塚は、日本の風土が育てた万人が好む食べ物 すし
それを調える為に調理をしてきた魚の霊に感謝をし慰め更にはすしが
永久の食べ物として発展させていく決意の表明として立てられました。

「活魚塚」
文字通り活魚を扱う仲買の方々にとっては直接魚を活けじめして血抜きをする日々であり、
それが自分の生活の糧でありその魚を食する事により人間が生かされているという
八百万の神の御恵みを頂かなければ人間は生きてゆけない事に感謝し
その事を多くの人々に知らしめる目的で建設されました。

「海老塚」
昭和48年9月に東天会てんぷら料理協同組合と(株)海老の大丸により建立てんぷらは
魚・野菜などの恵みを調理する生業ゆえに、その恵みに感謝し敬意をはらいその道の精進を重ねる意を、
分けてもてんぷらを象徴する海老の供養の塚として建立されました。

「玉子塚」など、
寿司屋・料理屋等で主に使用される業務用の厚焼き玉子を作る業者にとっては
日々新鮮な玉子を大量に使用することが必要であり、
それによって生業が成り立っている事に感謝し、
使用した玉子への供養と古より如何に玉子が世に優れた食材であったかを
人々に顕彰する為に建てられました。

食の街・築地ならではのユニークな碑が数多く建てられています。
中でも一時期、とても有名になったのがこちらでした!
なんと!吉野家!
吉野家は日本橋にあった魚河岸で開業し、関東大震災の影響で魚河岸が築地に移転したため、
同時に築地に移転、東京大空襲で店舗が焼失したものの戦後屋台で営業を再開、
昭和34年に「築地一号店」を開業しました。
創業店が築地市場にあったという‘感謝の思い’を後世にこのすため、記念の石碑として建立されました。

本日のまとめを!
この神様のおかげで海の荒波を乗り越えられたことから、「波除稲荷」という尊称が贈られました。
今日では「厄除け」「災難除け」「商売繁盛」「工事安全」の守護神として信仰を集めています。
それ以来今に至るまで、「災難を除き、波を乗り切る」 波除稲荷様として、
災難除・厄除・商売繁盛・工事安全等の御神徳に崇敬が厚いのであります。
その御神徳はその後も益々大きく、当時辺境の地であった築地も次第々々に開け、
現在の如く繁華街となったのであります。
もし築地市場へ足を運ぶ事があれば、その際は少し足を伸ばして
こちらの「波除神社」へご参拝頂ければと思います
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民話伝承999🄫