-仮名垣魯文編-

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この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
あくまでも作者の妄想が生み出した「葱太郎」によるフィクションとエンタメ、そして、
個人的な願望を好き勝手に盛り込んで作り上げた日常が舞台のお話です。

もしかしたら、知ったフリして平気で嘘付いている可能性もありますし、
到達しなかった人類の考えを遥かに超越した新たなる心理に触れるかも知れません。
が、何度も良いますが、この物語はフィクションです。大切なので二度言いました。


葱太郎、谷中へ!!

さて、今回は夕焼けだんだんでお馴染みの谷中銀座から、約10分ほど歩いた場所をお届けします

が、その前に!
谷中銀座も何だかインバウンドの影響でしょうか、
かつては昭和レトロな下町の暮らしと風景を垣間見る場所、
そんな印象でしたが、立ち並ぶ店舗の変化や価格設定の観光地化など、
以前と少し変わってしまった感は否めませんが、
それでも肉屋のメンチカツを見るとホッとしたりもしました




日暮里駅から谷中銀座に出て、もみじ坂経由で三崎坂へ進み、
通りに面したところで発見したのが、こちらの『永久寺』というお寺でした




一見するとあまり特筆すべき点があるようには見えないかも知れませんが、
門の奥に見えたこちらの石碑に刻まれた文字、
この『山猫めおと塚』という文字が気になってしまったのが切っ掛けでした




その場でスマホを取り出して検索してみると、こちらの「永久寺」は「魯文」なる方の菩提寺で、
この「魯文」という方がなかなかに興味深い方であったので、
今回は「永久寺」より、こちらの「魯文」という方を紹介したいと思います!




では、手始めに、「魯文」という方がどんな方なのかをお話したいと思います。

幕末から明治時代にかけて活躍した戯作者・新聞記者、仮名垣魯文(かながき ろぶん)は、
文明開化の世相風俗をユーモアたっぷりに描き、明治初期の通俗文学を牽引した人気作家でした。




代表作は、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』をパロディ化した『西洋道中膝栗毛』や、
文明開化の象徴である牛鍋をつつく人々を描いた『牛店雑談 安愚楽鍋』が有名なんです。




魯文は『横浜毎日新聞』の記者を経て、市井の雑報やゴシップを多く扱った
大衆紙『仮名読新聞』などを創刊し、新しいメディアの普及に貢献しました。




作風は伝統的な滑稽本のスタイルを活かしつつ、ちょんまげを切って洋服を着るような
当時の日本人の戸惑いや新しい生活様式を、おもしろおかしく風刺しました。




情報が少ない、いや自分の理解が足りない事もあり、「??」な方もいると思いますが、
ざっくりと言うと、彼は、幕末から明治時代にかけて活躍した日本の戯作者であり、新聞記者です。
ちなみに本名は「野崎文蔵」というそうです。

また魯文は、たいそうな猫付きだったようで、その猫好きにちなむ石碑が境内にはいくつかあり
次は境内の猫にちなむ石碑を紹介したいと思います




山門を入ってすぐの本堂右には、こちらの『山猫めおと塚』と『猫塔記念碑』、
向かいには『猫塚碑』が建っているので、順番にご説明したいと思います。




では、先ずは「山猫めをと塚」が建てられるまでのお話を。

山猫めをと塚は、魯文の飼っていた雌雄の山猫を供養する碑である。
『猫の歴史と奇話』(平岩米吉著)によると、雌雄の山猫を魯文に譲ったのは
当時海軍卿の榎本武揚であった。




その山猫とは欝陵島で捕らえられたらしい。




榎本が塚石を建てたのは、贈って約1年後に亡くなった山猫を惜しんでのことだった。




表に福地桜痴の碑文(明治十四年十月建 山猫めを登塚 桜痴居士源喜)が刻されており、
裏面には「榎本武揚君嘗賜雌雄山猫于猫々道人魯翁 該猫病而斃標石一基 卿表追悼之意 嗚呼」とあり、
遊食連として竹内久一以下16名が列記されている。
※気になる人は裏も確認してみてね!




続いては、山猫めをと塚の隣に立つ「猫塔記念碑」は
明治11年開催の「珍猫百覧会」の収益で建てたのだという。

「珍猫百覧会」は猫作品の展示だけに留まらず、声色やものまね、落語など、
猫づくしの集いだったそうなので、かなりの猫好きだったんだと思いますね




そんな「猫塔記念碑」の丸穴から中をのぞくと眠り猫の像が見えるというのだから、
なかなか凝った猫塔であるといえる。
さすがは魯文自身が猫々道人を名乗るだけの猫好きだと言える。




次はこちらの「猫塚碑」に刻まれた成島柳北撰文の文字は細かくて読みとれないが、
線彫りされた猫の顔は目立つが分かるだろうか?




石碑に近付いてよく見ると目、鼻、口を「魯」の字形にしてあるのが分かると思う。
この碑は、もともと谷中霊園にある高橋お伝の墓の近くにあったものだが、
本当のお伝の墓は南千住回向院にあるが、谷中霊園の墓は『高橋阿伝夜叉譚』を書いた
魯文や歌舞伎役者らが伝三回忌に建てたんだとか。

 高橋お伝という人は、明治の初めに、旦那を亡くし、困窮した際に、
ある男から愛人になれば金を貸してくれると言われたのだが、
その男が金を貸してくれなかったため、殺人を犯してしまったんだとか。
で、結果的に斬首刑になったんだそうです
ちなみに、斬首刑にされた最後の女囚とも言われているようです。

軽い気持ちで参考までに書いたものの、なかなかにドラマチックな人生を送ったお方ですね
これはこれで、別の形で紹介したいものだと思ってみたりしました




あ、そうそう!永久寺の紹介がまだでした。すみません。

ここ永久寺は、谷中玉林寺中興開山の風室興春和尚が隠居寺として創建したといいます。
魯文のお話に比べ、情報が少ないのはきっと自分の調査不足だとは思いますが、
実際に検索すると「魯文」と「猫」が多くヒットするのもまた事実である訳で…

そして、
しっかりと合掌一礼は忘れずに!




最後にこちらの魯文の墓は、墓地入り口すぐのところにあります。
墓石には、聖観音を線刻した板碑がはめ込まれており、
側面には「遺言本来空 財産無一物 俗名 假名垣魯文」と刻まれている。




この日は天候も悪く、少し小雨も降っていて、場合によっては大通りに出て地下鉄を利用、
そんな事を考えながら谷中の町を散策していた際に出会ったお寺でした
なんだかんだで興味深い話も知るきっかけになりましたし、
充実した時間を過ごすに至りました!




皆さんも、ちょっと気になったら是非一歩、その足を踏み込んで未知を既知に変える
そんな経験をしてみませんか?
きっと、そこには素敵な出会い、新たな気付きがある筈です!

お!今回は意外に真面目に書けたかも!
という事で、
それでは今回は「魯文」の菩提寺『永久寺』の門前からお別れしたいと思います
ではまた、次回も宜しくお願いします!







民話伝承999🄫