
-力石編-
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この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
あくまでも作者の妄想が生み出した「葱太郎」によるフィクションとエンタメ、そして、
個人的な願望を好き勝手に盛り込んで作り上げた日常が舞台のお話です。
もしかしたら、知ったフリして平気で嘘付いている可能性もありますし、
到達しなかった人類の考えを遥かに超越した新たなる心理に触れるかも知れません。
が、何度も良いますが、この物語はフィクションです。大切なので二度言いました。
葱太郎、北越谷へ!!

あれは2月頃
引退間近のKONOHA選手がアイスリボンの道場マッチに参戦するとの事で、
かなり久しぶりになるけど埼玉県は西川口のレッスル武道館へ足を運んだ時の話。
※プロレスリング銀河騎士団団長として団体を牽引してきたKONOHA選手は、
「2026年5月24日」に大阪の生野区民センター大会にて引退します。
残り僅かではありますが、最後まで全力で応援したく思います!

試合後の売店にて、明日も関東で試合があることを知った。
その場所は北越谷、同じく埼玉県ではあるが、
なかなかに行く機会のある場所でも無いものの、試合は見たいのですこぶる悩む
そして、行くとしたら北越谷には、他に何かあるのか?
そこが大きな問題だった
そこで、色々と調べてみると『久伊豆神社』なる神社があるらしいことを知る。
ちなみに「くいず神社」では無く、「ひさいず神社」と読むらしいので、
クイズとは関係無さそうである
が、ちょっと面白そうな、興味深いものを見付ける
よし!試合前に久伊豆神社に寄るとしよう!

そして、翌日
困ったことにGoogleマップでナビしているのに神社への辿り着けない…
どうやらマップが更新されていないのか、何なのか分からんけど
途中で抜けられない小道に入ってしまったり、若干地図と異なるところがあり、
悪戦苦闘の末にやっと到着できた

そして、辿り着いた神社は思った以上にでかかったりするんだけど、
鳥居から境内まで、とても長い距離の参道は、ここまでの疲労感もあってげんなり気分に…
でも、そんなテンションも、この案内板を見たら一気に上昇したのだった

その案内板がこちら
そう、これが今回の目的でもある「力石を持ち上げたとされる」
とある人物について書かれてる案内板なのだ!
その人物の名は「三ノ宮卯之助」
日本一の怪力と言われたお方である。

もちろん、真っ先に「三ノ宮卯之助」の伝説についてご紹介したい気持ちをさて置き、
後ほどにそれは紹介するとして、先ずは本堂を参拝し、
三ノ宮卯之助が持ち上げたという力石を拝見したいと思う。
が、ここで「久伊豆神社」についてご紹介!
埼玉県越谷市に位置する歴史的な神社で、平安時代から信仰を集めてきました。
主祭神は大己貴命で、地域の総鎮守として広く知られています。

境内には、国学者平田篤胤の仮寓跡や、樹齢250年の天然記念物の藤があり、
毎年4月には藤まつりが開催されるんです。
残念ながら、この日は見れませんでしたが、立派な藤棚はありました!
そして…
なんと!あの平田篤胤も所縁のある神社だったとは驚きました!


思わぬ見所を知り、広い境内を散策しつつ力石を探すものの、
何度か力石のある場所を横を通り過ぎては気付かずに探し続ける不毛な時間を経て、
実は本堂の直ぐ近く、拝殿に向かって右手に一対の御神灯の奥にあることに気付く
実際、境内がなかなかの広さってのもあるんですが…

しめ縄が張られた台座の上に乗っている大きな石、それがその力石です

ちなみにご参考までに…
越谷市内に現存する三ノ宮卯之助銘の力石は、ここ越谷久伊豆神社に一個、
三野宮香取神社に四個、三野宮向佐家に一個と計六個と言われ、
これらの力石は、「三ノ宮卯之助銘の力石」の名称で、越谷市の有形文化財に指定され、
市内や埼玉県内はもとより、神奈川県・山梨県・長野県・大阪府・兵庫県などに
「三ノ宮卯之助」の銘が刻まれている力石が残されており、
卯之助が力持ち興行をしながら日本各地を回ったことが分かるんだとか
なんだか、相撲みたいに全国を回っていたとは、
当時の力石を持ち上げる興行の人気具合を想像できますね

力石には「奉納 天保二辛卯年四月吉日 三ノ宮卯之助持之 五十貫目 本町 會田権四郎」と刻まれている。
江戸後期・天保2年、卯之助が24歳の時に、重さ50貫(約190キログラム)のこの石を持ち上げ、
越ケ谷本町の会田権四郎が、記念に久伊豆神社に奉納したものである。
とあり、三野宮香取神社や、三野宮向佐家にある力石はこんな感じらしいです
◇三野宮香取神社◇
大磐石(約520kg)
白龍石(約200kg)
三王石(約170kg)
指石(約110kg)
◇三野宮向佐家◇
さし石(約100kg)
が、何それ??
約520kgを持ち上げたとか、もはや人じゃないでしょ!!

まあ、分かってはいたけど…
せめて約190kgをちょこっとでも動かせたらなぁ、なんて思ってはみたけど
結果的に力石はうんともすんとも言わず、完膚無きままに撃沈されました。
卯之助、あんた凄いよ
※ちなみに自分は持ち上げてません(当たり前ですが…)
また、歴史的な力石は非常に価値が高く、
保存のために触れてはいけないものが多いので
もし挑戦したい場合は、社務所や案内板で
「実際に持ち上げて良いものか」
を必ず確認するようにしましょう!
という事で、そんな三ノ宮卯之助について最後に少しだけご紹介します!

「三ノ宮卯之助」の伝説について
江戸時代に力石が流行した理由は、
相撲が「観る」娯楽としてプロ化・興行化していったのに対し、
力石は庶民が「自分で参加できる」身近な力試しの手段だったからと言われる。

当時の農村や漁村では、重い米俵(約60kg)を担ぎ上げることが
「一人前の男」として認められる条件の一つでもあった。
また、力石を持ち上げることは、単なる遊びだけでなく、
労働力があることを周囲に証明する実利的な意味を持っていのだ。
石に名前や重さを刻んで奉納する文化も生まれ、自身の力を後世に残す名誉となった

さて、江戸時代に実在した力持ち、三ノ宮卯之助にまつわる逸話は、
もはや昔ばなしのような英雄譚として語り継がれていました。
卯之助は幼少期、体が弱く周囲からバカにされていました。

しかし一念発起して修行を積み、ついには日本一の力持ちとして
徳川将軍の前で芸を披露するまでになったのです。

埼玉県桶川市の桶川稲荷神社には、彼が42歳の時に持ち上げたとされる、
重さ約610kgの「大盤石」という日本一重い力石が今も残っています
以前からあった些細な疑問、そしてちょっとした機会も相まって知る事が出来た
『力石』
神社の境内に転がるただの大きな石、そんなイメージが払拭され、
今では全国各地で若者たちがこぞって力石を持ち上げて競い合ったであろう
その光景が明瞭に思い描く事が出来るになった
そんな素敵な経験と、出会いのある北越ケ谷の一日でした

旅のついでに聖地を巡礼、ついでがガチになることも
そんな「どうでも良い事」にお付き合い下さい!
2026.03.xx 更新